日本人は会社を辞めにくい。
「そんなことはない。
日本の会社だって、辞表一枚提出すれば
簡単に辞められる!」
と思われるかもしれない。
しかし、日本の世間というものが
とても会社を辞めにくくしている
と、拙者は思うのである。
確かに会社を辞めるのは、制度上は簡単である。
しかし、日本人は総じて、
なかなか会社を辞めない。
その中で自分ひとり会社を辞めても、
空いたポジションが非常に見つかりづらい。
大企業が大量の人員整理を行うことはある。
その場合、今度は、
大量の(同種の)求職者で世の中が溢れかえり、
個々人の市場価値が下がり、
求職者にとっては、やっぱり
次の仕事が見つけづらいのである。
その結果、多くの人は、
常に必死で、会社にしがみつくのである。
これが日本の世間というものである。
本当に会社が好きな人はそれで良いかも
しれないが、上記のような事情で、
仕方なく会社にしがみついている人も、
建前上、
「会社大好き」という顔をしなければならない。
そうしなければ、会社にも居づらい。
このように世間と折り合いをつけている
方々は多いと思う。
「世間と折り合いをつける」という意味で
思い出されるのは、ヘーシロー。が新卒で就職
した頃のことである。
ヘーシロー。は、ある電機メーカーに、
エンジニアとして、採用された。
しかし、ヘーシロー。は、どうしても、
周りのエンジニアが興味を持つことに、
興味が持てず、浮いた存在であった。
つまり、世間と折り合いがついて
いなかったのである。
では、何に興味があったのか。
それは、変わらないモノ。大げさに言えば、
不変の真理だったのではないかと、
今振り返って思う。
「養老孟司の人生論」を読んで、
驚いたのは、
養老先生が、真理を追究する姿勢で、
東大医学部の中で浮いた存在になって
しまったというところである。
東大の、それも医学部を出て、
学者になった人でさえ、
真理を追究すると浮いた存在になる
のである。
地方の大学を出て、民間の事業会社に
就職した拙者が、浮いた存在になるのは、
その意味では、当然なんだろうなと、
妙に納得した。
しかし、常に技術の先端を追う、
あるいは開発する
エンジニアにとっても、
真理を追究することは重要であると
拙者は確信している。
数十年前に読んだ、中国拳法の大家の言葉である。
今となっては、手元に資料がないのだが、
以下のように記憶している。
「君は、止まった時計をバカにするかね。
しかし、時計というものは、
どんなに正確なものであっても、
真の時刻とは微妙に違う時刻を追いかけ、
真の時刻を指し示すことはない。
しかし、止まった時計は、
一日に二回は必ず、
正確な時刻を指し示すものだ。」