コラム

共産主義はなぜ失敗したか。ジャガリコの分け前から考える

ヘーシロー。の
最近の晩酌のお供は、
レモンの酎ハイである。
酎ハイを夕食と共に飲み、
さらに、
食後のジャガリコと
一緒に飲むのである。
最近は、二歳の息子が、
拙者のジャガリコをみて、
欲しがるようになった。
健康にあまり良くない
とは思いながら、
ついつい与えてしまう。
息子が食いしん坊になるにつれ、
拙者の分け前が減ってきた。
(我ながら、ケチくさい・・・)



資源と分け前

そこで、ふと考えたのであるが、
世の中では常に、
このようなことが起きているのではないか。
地球上の資源には限りがある。
その資源の、
誰かの分け前が増えれば、
誰かの分け前が減る。
全員が先進国の中流レベルの消費をするほど
の資源は、地球上にはない。

共産主義を実施するには資源が足りない

共産主義の建前は、
「平等」のはずである。
仮に地球の人口を100人として、
そこに、
100人分の食料があったとしよう。
それを100人で平等に分け合う。
これなら大きな争いは起きまい。
では、
人口は100人、食料は80人分
だったらどうか。
平等に分け合えば、
一人、0.8人前。
これなら、まだ、
みんな耐えてくれるかもしれない。

それでは、
人口は100人、食料が20人分
だったらどうか。
平等に分けたら、一人0.2人前。
これでは、全員死んでしまう。
この場合、
生き残る20人、
死んでしまう80人
に分けるしかない。
(そうしなければ絶滅。)
では、誰が生き残るか。
それを、共産主義では、
共産党が決める。
死んでいく側が納得するはずがない。

資源の足りない環境では、
共産主義は成り立たないのである。

ソリューションは自由競争か?

では、
どのように食料配分を決めるか。
残念ながら、
自由競争しかないかもしれない。

さて、家庭の話に戻ろう。
拙者の息子は、
食いしん坊になってきた。
だからといって、
これから、
拙者と息子で、
ジャガリコの分け前を
自由競争で取り合うか
というとそうではない。
ワシはそこまでケチじゃない。
ワシが、
ジャガリコをもっとたくさん買えばよい
ことである。
慈愛に満ちたパパであるワシは、
もっと稼がなくてはいけないなー
と思うのである。

今度は、会社というものに、視点を移そう。
昨今の会社は、
相対評価が導入され、
誰かの給料が上がれば、
誰かの給料が下がる。

誰の給料を上げ、
誰の給料を下げるか、
決めるのは、
会社の幹部である。

まるで、
上記の共産党のようではないか。
給料を下げられた側が
納得するはずがない。

ただし、会社の場合は、
シェアや利益を上げ、人件費の
原資を増やすことができる。
限られた原資を取り合うことよりも、
原資を増やすことを
考えなければならない。
これも、
上記の話に似ていないか?

以上、ジャガリコから、
社会、家庭、会社について考えて
みました。







ABOUT ME
アバター
ヘーシロー。
地方大卒。エンジニア歴20年近いオジ。
最初の職場はブラック。
長年の忍耐を経て、
ブラック脱出を決意。
就職先の影も形もない状況で浪人する。
ブラック脱出後、メーカーや商社で、
自身の英語と技術知識に自信を持つ。
リスクをとっても
ブラックからは脱出すべきと確信。
リスクをとる個人が増えることを願い、
技術記事やキャリア形成、
英語について、
思うところを発信する。
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